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康正(こうしょう、天文3年(1534年) - 元和7年1月10日(1621年3月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した仏師。七条仏所慶派21代。初め左京、のち民部卿を名乗る。大仏師大夫法印、東寺大仏師を務めるなど、この時代を代表する仏師である。 == 略歴 == 事績の初見は、1566年(永禄9年)4月に康理と共に行った、東寺鎮守八幡宮武内宿禰像修理である。その納入札に「大夫法眼康正」と記している。一方、「正親町天皇口宣案」(兵庫県立歴史博物館蔵(喜田文庫))では、翌々年の4月26日に法眼に叙されたと記されている。この2年のズレは、永禄9年の時点で法眼叙任の沙汰を得ており、口宣案を発給されたのが2年後だったと推測される。1577年(天正5年)7月、東寺大仏師職となる。1580年(天正8年)11月24日、法印となる(「正親町天皇口宣案」)。豊臣秀吉の命で七条仏所の地を時宗の金光寺に寄進、四条烏丸へ移転。晩年は、53歳でもうけた跡取り息子・康猶のために、東寺大仏師職や僧綱位叙任を急ぎ、康猶は14歳で大仏師職を得て流派を継承できた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「康正 (仏師)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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